大判例

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東京高等裁判所 昭和53年(う)353号 判決

被告人 古市賢治

〔抄 録〕

検討するに、まず被告人が、昭和五一年七月六日午後一一時ごろ原判示東邦電気工業株式会社の希望寮二階七号室の自室において、那須喜一(当時二六年)に対し、その場にあった刃体の長さ約一〇・五センチメートルの果物ナイフで、同人の左胸部を一回突き刺し、よってそのころ同所において同人を心臓刺創による出血のため死亡するに至らしめたことは、原判決挙示の関係証拠によってこれを認めることができる。

そこで、次に右犯行時被告人には被害者に対する殺意があったか否か、被告人に責任能力があったか否かにつき所論に添って検討する。

(一) (殺意の有無について)まず、殺意の有無を判断するには、犯行に至る経緯、犯行の動機、凶器の形状およびその殺傷能力、加害行為の態様、被害者の受傷の部位・程度など諸般の事情を総合して認定すべきものである。そして右のうち凶器の形状、加害行為の態様、受傷の部位程度は、特に殺意認定の重要な要因となる場合が多く、これを本件についてみるに、関係証拠(特に、東京高裁昭和五三年押第一二四号の一、医師津田征郎作成の鑑定書、証人惣伊田忠の原審公判廷における供述および同人の検察官に対する供述調書)によれば、被告人が本件犯行で使用した凶器は刃体の長さ約一〇・五センチメートルの刃先の尖った果物ナイフであり、被害者の受傷の部位、程度は、左前胸部正中線より三・九センチメートルの位置で人の身体の枢要部であり、傷の態様は、水平に長さ四・三センチメートル、幅二・一センチメートル、深さは心臓を貫通する刺創であって、その場に居合せた惣伊田忠が被害者の胸に突き刺さったナイフを抜く際、足で被害者の胸を押して、やっと抜けたものであることが認められ、右各事実によれば、一応殺意を推認することも可能であると考えられる。

しかし、関係証拠(特に、証人惣伊田忠、同富田栄一、同桜井保美の原審公判廷における各供述、惣伊田忠、富田栄一の検察官に対する各供述調書、上村由起夫、中山信太郎、工藤和夫の司法警察員に対する各供述調書、司法警察員作成の検証調書、被告人の原審公判廷における各供述、被告人の検察官および司法警察員に対する各供述調書によれば、

1 被告人と被害者とは、会社の同僚で、同じ寮に居住してはいたが、職場の配置も異なり、特段の私的付合いもなく、本件より少し前の昭和五一年六月末ごろ被告人がステレオセットを月賦で購入した際たまたま寮に居合せた被害者にその保証人になってもらったことがあったほかには、それまで四回ぐらい一緒に酒を飲んだことがあるという程度の関係であったこと、

2 被告人は、本件当夜の午後八時ごろから寮の自室で、同僚の惣伊田忠とともに飲酒し、同日午後九時ごろまでに六三〇ミリリットル入りビール六本(自分は三本ぐらい)を飲み終ったところに、他で酒を飲み酩酊した被害者が来たので、そのあと同人も入れ三人で清酒約一合、ドライジン約一合、サントリー角びんウイスキー四分の一ぐらい、サントリーレッド大びんウイスキー半分ぐらいを、それぞれ三人で同じくらい飲み、強く酩酊(その程度は後記認定のとおり泥酔初期の状態であった)した状態の下で、会社の仕事のことなどについて雑談しているうち、被害者が被告人の室内にあったステレオについて、「このステレオは、俺が保証人だから、お前は何も言えないよ。」などと被告人の気にさわるようなことを口にし、また被告人の話を茶化すなどしたことから、二人が互いに「なんだこの野郎。」などと大声を出したが、そのうちに二人とも笑い声を立てふざけるように相手の肩を叩き合っていたので、その場にいた惣伊田も特に気にとめず、ウイスキーのはいったコップを手にとろうとして下を向いたところ、どすんという鈍い音がしたので、そのほうを見ると、すわっていた被害者の左胸に果物ナイフが突き刺さっており、その右隣にすわっていた被告人が右手でそのナイフの柄を握っているのを目撃したこと、

3 本件の凶器の果物ナイフは、本件犯行の少し前に、被害者および惣伊田が他の部屋の者から借りて来て、チーズなどを切るのに使用したあと、たまたま被告人の前に置かれていたものであったこと、

4 本件加害行為は、被告人がすわったまま右のナイフを右手に持ち、左隣にすわっていた被害者を一回だけ刺したものであって、その結果ナイフが被害者の心臓部に突き刺さったけれども、右犯行態様からみて、被告人がことさら被害者の心臓部をねらって刺したものとみるのは困難であること、

5 被告人は、右犯行直後われにかえり、すぐ惣伊田に「救急車を呼んでくれ。」と頼み、自ら被害者を抱きかかえ、「大丈夫か。」と声をかけ、人工呼吸を試みるなどし、間もなく到着した救急車に同乗し、病院に同伴していること、

以上の事実が認められ、右のような本件当時被告人と被害者との間には特段深い交際がなかったこと、犯行直前ころから被告人は泥酔状態となっており、そのころ被害者との間に言い合いはあったものの、それ程緊迫した雰囲気ではなく、そのことからも被告人が被害者を攻撃するに至った原因は極めて些細なことであったと窺われること、被告人はたまたま目の前にあった果物ナイフを使用したものであり、その態様もすわったままの姿勢で一回だけ被害者を刺したにすぎず、犯行後は直ちに被害者の救助に努めていること等の諸点に、被告人が捜査以来ほぼ一貫して、本件犯行時相手を殺害しようとの意思は全くなかった、また犯行についても酒の酔いのため、いっさい記憶がない旨供述していることを合わせ考えると、被告人が原判示のように殺意をもって本件犯行に及んだものと断定するには躊躇を感ぜざるをえない。

そして本件記録を精査しても他に被告人が殺意をもって本件犯行に及んだと認めるに足りる証拠はない。

そうすると、被告人の本件行為は傷害致死罪にあたると認めるのほかないといわなければならない。

(小松 千葉 鈴木)

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